ひらく織 最初の訪問者

ひらく織 最初の訪問者

この夏、ひらく織チームに一通のメールが届いた。関祥汰くん、21歳。文化服装学院に通う青年からのコンタクト。つづる織・西脇訪問の記事をきっかけに丹後産地に興味をもち、実際に丹後を訪れたいという連絡だった。ひらく織チームが始動して4ヶ月、最初の訪問者が盛夏の与謝野にやってきた。

 

8月28日、関くんと文化服装学院で教授を務める野沢彰先生が与謝野駅に到着。事前のメールやりとりからも彼の熱意が伝わって、それに応えるべく与謝野の魅力を詰め込んだ2泊3日のアテンドが始まる。

 


 

まず向かったのは「丹後織物工業組合中央加工場」。このルポでも何度か登場している、精練や染色加工を担う工場。巨大な精練の浴槽から立ち上る蒸気、絹のタンパク質独特の匂い。絹織物産地を象徴する現場は、これまでにも国内各地の産地をまわっている関くんと野沢先生の目にどのように映っただろうか。

 

 

次に訪れたのは「株式会社ワタマサ」。一貫生産を行う丹後ちりめん織元として、単独展示会の開催や企業とコラボレーションした商品開発も行っている。専務渡邉正輝さんによる、撚糸の仕組みや絹糸の構造、ワタマサが目指すものづくりの話を聞いた後に、関くん自身のことも話してもらった。

 

 

ご両親がアパレルの仕事をしていた影響で自然と洋服に興味をもったこと。ファッションは新しいフォームより、素材そのものの色や光り方のディティールが印象にのこると考えていること。機屋になって産地からものづくりをしたいこと。彼自身にとってなにが魅力で大切なことなのかを、しっかりと見つめていた。ここで正輝さんが語った「伝統の柄も昔は新しい挑戦でそれが認められて根付いて伝統になって行ったという経緯がある以上、伝統を守ることと新しい物を生み出していくことが重要」という言葉に「伝統を引き継いでいくという責任と個人として生産者として、新しいものを生み出していくという気概を感じ、感銘を受けた」関くん。

 

 

見学の終盤に野沢先生が「うち(文化服装学院)の学生が欲しいとしたら、どんな人がいいですか」と質問を投げかける。どの機場でも同じ質問をされていた先生。近年増えてきた「産地」という就職の選択肢に対して、実際にはどのような人物が求められているのか、現場の声を集めていた。 (気になる正輝さんのお答えはルポルタージュVol.15「丹後ちりめん織元 株式会社ワタマサ」の中に)

 

 

初日のラストは与謝野町織物技能訓練センターへ。指導員尾関さんの織機と機拵えの説明に引き込まれていく関くん。その姿を見ながら野沢先生が語った言葉。「長く学生を見ていると“織り頭”のいい人がいることが分かってくる。織りを立体と平面の中間として捉える感覚をもち、欲しいテクスチャーを作れるタイプ」。関くんは、そこに近い可能性を秘めているという。

 

 

夜は、ひらく織リーダーの高岡さん、ブレーン羽賀さんも駆けつけて懇親会。「かや山の家」で丹後の海山の幸を囲む。お二人の1日目の感想は「小幅であることが新鮮」。関くんからは、「ファッションデザインは移り変わりが激しい。色や素材感は移り変わりが比較的少なくて、美しい。人の最初の直感につたわりやすい」と生地に対する思いがあらためて語られた。

 

 

 

 

2日目は「柴田織物」からスタート。家業を引き継いだ頃の織物業界のお話、自社で紋紙を手がけるようになった経緯、そして昨年導入した織機をフル回転させての生地制作…柴田さんのお話が関くんの目を輝かせていく。

 

 

OEM生産が多く情報発信がむずかしい産地にあって、制約のない生産体制を確立し、自分自身が最高に楽しい環境を作り上げること。直接お客さまに喜びの声をもらってさらに嬉しいという、究極のサイクルを目指すこと。この柴田ワールド、関くんの丹後産地観にしっかりと刻み込まれたよう。

 

 

ラーメンを食べてフル回転の頭に栄養補給。

 

 

続いては「宮眞株式会社」へ。つづる織では初登場の機屋さん。丹後ではめずらしい広幅の服地をメインに生産。もとは和装の半襟や帯揚げといった小物生産から始まり、40年数年前にはポリエステル製の着尺が開発されたことをきっかけに広幅織機を導入。和装の減少にともなって洋装生地へと切り替え、約10年前には海外販路も開拓。現在ではフランスを中心に世界のメゾンにも採用されている。糊付け機から撚糸機、電子ジャカードに高速織機が並ぶ工場は、丹後と思えない。

 

 

 

「これからは、自社工場にある程度の設備を揃えないと生き残れない」と宮崎輝彦さん。部屋を埋め尽くすハンガーサンプルに、関くんも野沢先生も感嘆していた。

 

 

続いて向かったのは、「産地で生み出される極上の生地、その素晴らしさを地域内外に広めよう」と活動している「コ・クチュール」。地域の女性が集まり、シルクの子ども服や婦人服を産み出している。子守をしながら、おしゃべりしながら裁縫する姿に「これまでに行った他産地にはあまりない、市民と職人の距離感が近い場所」と関くん。

 

 

そして高岡さんの機場「高美機業場」へ。綛(かせ)の絹糸から糸繰、そして撚糸も自社で行う工程を案内。野沢先生が驚きの声をあげたのが「八丁撚糸機」。「他産地では動いているところを見たことがない。博物館に収蔵されているものから動き方を推測していた撚糸機が現役で動いている。シーラカンスレベルです!」と興奮しきり。この土地においては当たり前の風景が、日本の地域に残されたものづくりの底力であること。訪問者がそれに気付かせてくれた。

 

 

2日目最後の見学先は、羽賀さんの機場「羽賀織物」。技術の粋を集めた反物を前に、関くんは食い入るように生地を見つめていた。「個人的に着物生地は保守的で平面的なデザインしかないと思っていたけれど、洋服地以上のエッジの効いた、そして手の込んだ、誤解を恐れず表現するなら“誰もやりたがらないような”生地はそのイメージを覆すものでした」と若い感性に響いたのは、産地が積み重ねてきた技術と美しさだった。

 

 

いよいよ最終日、関くんも野沢先生もテンションが上がった「与謝野町染色センター」。学院の施設にはない設備や染料の取り扱いに、指導員増田さんへの質問ラッシュが止まらない。専門職の方からも素晴らしいと賞賛される、町民に開かれたものづくりの拠点。

 

 

2軒目は「由里機業場」へ。シルクネクタイを手がける機場で高密度の経糸と豊富な先染め糸のストック、由里直樹さんの創作意欲から多様な生地が織り上げられている。多重組織に特殊プリーツ、特許を取得した組織の生地…部屋の片隅から次々と出てくる生地のバリエーションに、関くんからの質問、「どんな時に生地のアイデアが浮かびますか?」。由里さんの答えは、「雑誌などを見ているときに“うちだったらこんな表現ができるって何となくのタイミングかな。そのために、自分の機場で何ができるのかを分かっておくことが大切。これまでの知識と経験から“こうしたら、こうなる”がないとものは作れない」。

 

 

 

最後の訪問は「小池織物」。社寺仏閣で使われる幕や衣装、お守りの生地を手がける機場の案内をしてくれたのは小池聖也さん。ひらく織チームでは最年少の28歳。2年前に修行先の企業から与謝野に戻ってきた。関くんと同じ二十代ということで、自然と地域の若者の話題になる。「若手だからと言って大変なことは特にない。青年部や絹友会(きゆうかい)はあるけれど機屋つながりの集まりは少ない」とのこと。

 

 

小さな頃から何となく家業を継ぐのだと思っていた聖也さんと、都市部から一念発起して産地を目指す関くん。二人に共通するのは「織物設計は面白い」という思い。関くんは、機場で見た経糸に絞染めがほどこされた生地にも興味津々。数多くの機場をまわりながら、彼自身の感性が反応するものを見逃さなかった。

 

 

3日間で11箇所、怒涛の機場めぐりが終わった。おなじみ「こんぴらうどん」で昼食をとりながら感想を聞く。「普通、産地めぐりは組合ご挨拶から始まって2、3軒がいいところ。今回はハードながら充実して、若手が産地を盛り上げようとしている空気を感じた」と、お二人からの言葉。

 

 

後日いただいたメールには、こう綴られていた。まずは野沢先生から。「丹後を一言で表すと“人の和”。機屋に大規模の撚糸機がある光景。そこが“ちりめん”の産地たるゆえん。他の産地とは大きく異なる、自立の光景。今は現代のやり方として設備投資も製品開発も個々で模索しているが、将来的に未来型の分業産地が生まれそうな“人の和”を感じさせる産地でした」。関くんからは「丹後が和装の産地という歴史を持つ故、どの機屋さんも歴史があり、またこの現代の市場に対応する為の進化をしていること。昔からの織機や撚糸機を大切に使うと同時に、新しいジャカード機を導入したり機場の増設や新しい織の開発に熱心な、ハイテクとローテクの同居するような機屋さんが多く感じました」。と、秘境と呼んでいた丹後で大きな収穫を得たよう。

 

 

 


 

すぐに戻っておいで!と別れて約2ヶ月後、与謝野駅に関くんが降り立った。

「よさのワーキングステイ・トライアル2017 – 染織プログラム」参加者として、柴田織物でのインターンにやって来たのだ。約10日間にわたり与謝野町が用意した一軒家から車で柴田織物に通い、朝から夜まで柴田式の働き方を全身で体験。機場仕事からデータ製作、取引先や幅広いジャンルの来客と打ち合わせに同座、予期せぬ織機の不調を乗り越えながらオリジナル紋柄の半襟2点を織り上げた。精練と染織は夏に訪れた染色センターで、学校での実習経験も活かして完成。

 

 

合間には、「ひらく織」チームとの飲み会や柴田さんの妹夫妻が営む「まさ農園」での新米羽釜ごはん会にも参加。地域の濃いメンバーとの付き合いにもすっと馴染み、自分のスタンスも崩さない関くん。

 

 

 

 

プログラムの仕上げとして参加した「きものサローネin日本橋」では師弟コンビもすっかり板についた姿に。

 

 

インターンを終えた関くんは「産地で働きたい」という夏から変わらぬ思いを深めていた。大人びた目の奥にある決意は、柴田さんにも伝わっている。「21歳と思えない聡明さは、彼のこれまでの人生で経験したことの深さを物語っている」と語る柴田さん。

 


 

ひらく織がきっかけとなり動き出した物語、これからのお話も綴っていきます。

どうぞお楽しみに。

2 Comments
  • 井内照子
    Posted at 19:22h, 23 10月 返信

    若い人が興味を持ち、仕事をする姿は未来が明るく楽しみですね

    着物が大好きで、今やっと楽しめる時間ができたんだけど、もっと早く織物に出会えていたらと思います
    後継者不足を聞く昨今、若い人に期待したいですね。
    大好きな柴田織物さんこれから益々のご発展をお祈りいたします。

    • paranomad
      Posted at 15:16h, 08 11月 返信

      井内さま
      今後の物語にご期待くださいませ。丹後から発信していきます!

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