哲学する機屋 石井織物工場

哲学する機屋 石井織物工場

石井織物工場

 

倉敷の美観地区から車を走らせて、山間の道をしばらく進む。初夏の緑が美しい風景の中にがんど屋根を見つけた。石井織物工場。出迎えてくれた三代目、石井八重藏さんの会話には、織物に対する信念と政治や宗教の思想が混在し、つながっている。

 


 

 

採算が合わないものを合わすのが仕事」。繰り返し語られる言葉は、創業から113年、積み上げてきた実直なものづくりの姿勢を表している。ギャバジンや平織りの定番商品を織り続け、全国の商社や問屋に納品。生地幅は98〜120センチ、縫製時にロックミシンをかけなくてもいいように耳がついていて、薄く柔らかいけれど密度があって丈夫。用途は病院の白衣や学生服、袴といった耐久性が求められるものばかりだ。現在生産している生地は4種類あって、在庫の減ったものから機を動かすようにしている。「在庫を抱えても利子はつかない、銀行とは違うからね」と辛口のユーモア。

 

 

愛機はこだわりの豊田製、型式は「GL8」。豊田の特徴は左ハンドル。(丹後で使われている織機は右ハンドル)。昭和46年に生産された最後の織機。もう販売会社にメンテナンスできる人はいない。ピッカーの違いか、機音は丹後に比べて小さめ。

 

 

 

 

 

ちなみにピッカーはアメリカ製。織機は160回転、1日の生産は40m。口開けはタベットで行い、ビームの大小によっても、日々の温度や湿度の状態によってもテンションが変わってくる。経糸には重りがついておらず、太いバネで張力を調整している。丹後の織機と比べて糸の張りがゆるく、それでも織れるということに驚く。

 

 

織機が並ぶ工場の隣室には、町の金物屋と見間違うほどの工具が整然と並んでいる。フォークリフトから始まってチェーンブロック、チェーンソー、各種切断系電動工具にオイル類…薄明かりの自然光に照らし出される道具たちの存在感は織機に引けを取らない。「部品の80%は自分で作るし、鉄工所で直らないものはない」。メンテナンス問題を抱える与謝野チームは驚きを隠せない。「メンテナンスは100%自分でやっている。電気系統も自分で修理。高校生の頃から白黒テレビを組み立てたりしていた」。一人で整経から筬入れ、メンテナンスに部品作り、全てをこなしている機屋なのだ。

 

 

かつては従業員が7人。今は「まんま炊き」するお母さんと二人で機場をまわしている。ご子息は勤めにでていて「“継げ”と、かわいそうなことは、よう言わない。今から機場にはいっても技術を伝えきれないうちに自分自身が引退してしまう。それではこの機場から採算を合わすことは出来ない」。数式を組み立てる厳しさを知っているからこその本音に、優しい表情がのぞく。地域の役員や世話役も担う八重藏さん。機場を歩く合間に、「正しい素直な教育を伝えたい」「算数の式を作れる人材をつくりたい」「食べるもの、着るものがなくなったら目が覚める。そこから必要になる自立心を育てたい」と、次世代の人材育成への熱い想いを発していた。彼にとって、後継者とは自社工場の後継だけを示すのではないと感じた。

 

 

日々移り変わる繊維業界の情勢に海外との競争、為替、糸値の乱降下。定番商品の継続は、出来上がる商品は同じでも、それをいつも通りの価格にするための数式を日々変えていかなければならない。それが、商学部で学んできた「採算を合わせるための、道中の式づくり」だと言う。人生の半分以上を投入してこれしか出来ないと笑っていたが、その中に広がる世界のなんと豊かなことだろう。その創意工夫と信条を保ち続ける原動力はどこからやってくるのか。

 

 

その答えを、取材の終盤に語られた言葉に見つけた。「いまうちで扱っているような小口ロットの商品は商社にも在庫はないから、なくなったら注文がくる。信用関係があってこそ、電話一本で注文を受けている。相手が惚れてくれるものづくり、欲しいと言ってくれるものづくりをしていかないと。作る・売る・買うは全て信用によって成り立っているから。そして大事なことは、自分の知恵を守る。人のものを盗まない。」平織りでオールA反をつくるのは難しく、あらゆるトラブルに対して勉強が必要になってくる。織段やスジといったエラーが見えやすいからだ。そんな織物を作り続け、築き上げた信用。それこそが機場をまわし続けるエネルギーとなって循環している。

 

 

思想する機屋は、今日も機を織り、機械を直し、世に問い続ける。

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