足元から日本の文化を支える 髙田織物株式会社

足元から日本の文化を支える 髙田織物株式会社

髙田織物株式会社

 

今年で創業125周年を迎える。児島の歴史、日本の歴史、そして自社の革新の歴史。事業の「成り立ち」を簡潔にまとめた年表に、専務取締役 髙田尚志さんの語る明快な将来像。過去と現在と未来が三位一体となった機屋、そんな印象を強く受けた。

 


 

 

明治元年のころ、初代徳太郎氏の創業時は刀の柄や備前焼の木箱に使う真田紐、小倉帯を生産。その当時に残った糸の利用をと考え出したものが「畳縁」。大正10年に福井県の畳縁産地に勉強へ行き、岡山での生産を開始した。それまで畳縁は広幅の織物を裁断して作られていたが、ここで小幅の織物へと展開。畳縁が広く使われだしたのは明治の終わり頃と言われ、岡山県では大正から製造が始まっている。髙田織物はまさしく先駆けとなった。戦時中は、軍需品であるゲートル紐、水筒用の紐、カバンの紐や安全タイなど多種多様な細幅の織物メーカーが数多く稼働していた児島。戦後の復興期には畳の生産も増大し、畳縁の産地も盛り上がりを見せた。

 

 

昔は、畳縁と言えば色は黒か茶色で綿の無地織。耐久性をあげるために「艶付加工」と呼ばれる糊付けやロウ引きをほどこし、商品のバリエーションはほとんどなく、価格競争も厳しいものだった。昭和37年には、業界初の紋縁「大宮縁」を開発し全国に展開。しかしやがて各社が柄入りの畳縁を始め、また価格競争に。差別化に挑戦するうちに、髙田織物が生産する畳縁は1,000種類を超えていた。「日本全国の方に畳縁を認知してもらえるように」と尚志さんは繰り返す。

 

 

お話を聞いた場所は「畳縁ファクトリーショップ“フラット”」。壁面はカラフルな畳縁のロールで埋め尽くされて、まるで海外の手芸屋さんみたいだ。なかなか意識されることのない「畳縁」という存在を、そのまま魅力ある素材として提示している。ショップで扱う小物は「雑貨にすることで手にとってもらい、将来、畳縁の市場へフィードバックさせるための名刺であり、広告」と尚志さん。これだけの畳縁を生産していても、まだまだ全国での認知どころか、地元での認知も皆無だと言う。そこで身近に目に触れてもらうために、小銭入れやペンケースなどに加工し、書店にも展開しているのだ。

 

 

そもそも、畳縁が「選べる」ものだということを、どれだけの人が知っているのだろう。私は前々職でインテリアコーディネーターをしていたこともあり、サンプル帳から縁の色柄を選べることを知っていた。少し変わった柄を提案して、全体のコーディネートとマッチしてお客さんに喜んでもらったり。そんな話をしたら尚志さんの表情はひときわ明るくなった。「そうなんです!意外と柄物や派手なものでも、畳にすると見え方が変わってきて。畳屋さんは職人気質の方が多いですし、縁の色柄を選べることを知らないお客さんも多い。何も言わなかったら普通の縁を使われてしまうんです」。「縁の単価も魅力も知られていなくて。例えば指定の柄に変更したとして、メーターあたり何百円かのアップで選べてしまう。昔から工場見学は受け入れていたけれど、買えないんですねという声もいただいて」。確かに、畳縁を選ぶ機会はそうそうない。畳の流通ルートは、「畳の商社」から「卸問屋」そして「畳店」へとつながっている。主体的に縁の色柄を提案するには、と考えて営業先を「ハウスメーカー」「建築設計事務所」へと展開。平成10年頃から開始、しかしその資料作りはとても難しかったという。万人受するもの、しないもの、ピンポイントのお客様を喜ばせるデザインのバランス…これも実感として、よく分かる。ほとんどのお客様は無難なものを選ばれる傾向にあったし、この方ならおすすめできるかなと思って選んでもらったときの嬉しさと言ったら!

 

 

時代を先取りしてきた髙田織物、現在の生産量は年間50万畳。全国の35%のシェアを占め、卸先の畳店は6,000店にのぼる。ちなみに、他の企業を合わせると児島のシェアは80%、福井が20%。この規模へと成長した秘訣を聞くと、「生産管理や種類の切替頻度などもありますが、国内メーカーであることの強みを生かして“小ロット、短期納品、多品種”に対応しています。16時までのオーダーは即日納品。供給体制のノウハウがあるので、きちんと届けたい」と教えてくれた。丹後チーム一同、びっくり。確かに、建築現場からの発注は時間がなかったり納期が少なかったりすることも珍しくない。この対応力、建材という性質から考えてもずば抜けている。そして労務体制についてもお話を伺う。「うちは全員が正社員で、残業をしません。若いお母さんも多く、日曜祝日はお休み、時間給で入ってもらっています」。さらに、「育休の時、代わりの人をヘルプにはいれません」と子育て期を通しても社員を大切にされている。「後継者と労働力については、よくよく考えています。児島は特殊な町で、デニムから学生服、帆布など官民一体となって若手を育成する学校が幾つかあって。学生さんは、やはりデニムのかっこいいところに憧れる。最初から畳縁を目指す人は少ないので、小学生の頃から見学を受け入れることでファンを増やしたいと思っています」。工場見学は、単なる産業観光にとどまらない、地域に根ざした企業が、地域の人と共に歩むための作戦なのだ。

 

 

「日本は畳の上で始まる文化を持っています。それがマナーやしきたりを支えている。“日本の文化を足元から支える”という、メーカーとしての責任があります」。私は丹後に来て和装を覚え、お茶を習い始めた。この歳になって、はじめて畳の縁を踏まないこと、お座布団の座り方、畳の目の数などを意識することを知った。そしてこの言葉…!私たちも文化の担い手であることを考えさせられる。

 

 

そして、ここで工場へ移動。まずは整経工程へ。整経幅は20センチ(織幅は8センチになる)、素材はポリエチレン、ポリプロピレン、ポリエステルが主流で、伝統的な素材である綿の縁も作っている。丹後で目にする織物と違うのは、経糸から柄展開を考える設計。色数ごとに経糸が層になり、色が増えると生地は厚くなり、値段にも差が出る。他にも原価や手間賃などが関連するけれど、まずは経糸の構成で決まる。経糸はベースになる「下糸」と柄になる「上糸(浮糸)」に分かれていて、最大で4層、つまり4色使うことができる。上糸は3色、各144本で432本、それに下糸168本をあわせて600本もの経糸が幅80ミリのなかに緻密に組まれている。

 

 

製織工程では、西脇産地にもあったエンドレス式ジャカードと、電子式ジャカードが高速で稼働していた。カラフルな畳縁が流れるように織り上げられる。その織元を見てみると…糸が出てくるのは針!ニードル式織機が使われている。この織機を開発したのも、なんと高田織物。昭和46年にシャトル式織機を改造。下糸を平織りにして上糸をジャカードで織るタイプや、全ての経糸をジャカードで操作するタイプの織機もある。打ち込み速度は500回転。織機の合間にセットされた道具のカートはきっちりと整理され、細かい道具の並びも美しい。と、そこに丹後で目にしたことのない道具が。整経で経糸が欠落した時に追加をする道具で、実際に使われている現場も見せてもらった。この作業を「入れ糸をする」と呼んでいる。

 

 

畳縁はジャカードによる柄に加えてエンボス加工やモアレ加工も可能。そしてなんと特注の柄、家紋やインテリアにあわせたデザインも最小ロット10畳分から発注することができる。織機のバリエーションは多く、ドビー織も備えていた。この量の設備を維持管理しながら売り上げを上げること。丹後チームは、自社工場をもつ機屋は、髙田織物の底力に震撼していた。機械の故障は、やはりいろいろあってメーカーによってその保守サービスも色々だそう。機料品は大阪の支店から購入、ジャカード用の消耗品は業者に頼んで地元で生産までしている。プラスチック製のものを自社開発したり、鋳物からつくったりと消耗品にかかる経費も少なくない。それでも、それが出来ているという体制。

 

 

最後に案内されたのは先に触れた綿製の畳縁を加工する工場。昔はどこの機場にもあった綿素材。いままた自然素材として注目され、トレンドになっている。しかし再開したくても技術が継承されていない機屋もある。「技術は細くても繋がないといけない」その言葉がどれほど切実な時代に、私たちは機場に立っているのだろう。

綿は、糸を「巻く」「バラす」「継ぎ足す」という工程が加わって、通常の化繊との価格差は約2倍になるそうだ。前加工は整経された糸を「とうもろこしのデンプン糊」に浸して「ゴムロールで絞り」「ゴミを除去」して「ロウ付け」、「ローラーの摩擦熱でロウを糸になじませて」幾つものローラーを通して「乾燥」させる。とてもアナログな機械の連続工程、ここだけ別の部屋にわけて化繊の生産にトラブルが起こらないように管理されている。綿糸の染色は地元の染め屋さんに頼む。温度・湿度によっても糸の仕上がりが変わってしまう、難しい素材。目指すのは仕上がりの美しさとハリ加減。畳に縫ってつけた時に角がピッとたつ美しさ。髙田織物が手間暇のかかる綿の畳縁を作り続ける理由のひとつは、「この技術を後世に残すために」。そこには価格以上に大切なものがある。

 

 

一通りの見学を終えた私たちが案内されたのは、青空のもと、コンクリートの基礎が打たれた空き地。ここに、新しい可能性を詰め込んだ複合施設が建設される。畳の空間があり、ギャラリーやワークショップスペースが併設された空間。オープンは秋。足元から日本の文化を支える、それを体感できる場所が生まれる。

 

 

おまけに…工場を案内されながらずっと気になっていた、建物前のアスファルトに描かれた緑の丸。場所はランダムで数字が書いてある。その正体は、平成22年に始まった「トランプラジオ体操」のポジション。毎朝のラジオ体操、その立ち位置が慣習で固定されてしまうと会話も広がらないとのことから、トランプの裏面に数字を貼り付け、くじ引きをして、位置を決めているのだ。なんて素敵なアイデア。それをまた、自社の歴史年表にも載せているところにときめく。まずはラジオ体操から。コミュニケーションが革新や進化を作り出す要だと、そう教えてくれている気がした。

 

 

 


 

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