“好き”が紡ぐ道
[vc_row css_animation=”” row_type=”row” use_row_as_full_screen_section=”no” type=”full_width” angled_section=”no” text_align=”left” background_image_as_pattern=”without_pattern”][vc_column width=”1/6″][vc_empty_space][/vc_column][vc_column width=”2/3″][image_with_text_over icon_size=”fa-lg” image=”1148″ title=”“好き”が紡ぐ道” title_size=”24″ image_shader_hover_color=”rgba(0,0,0,0.01)”][/image_with_text_over][vc_empty_space height=”60″][vc_column_text]
11月16日。染織やテキスタイル、ものづくりの分野で新しい活動や事業展開をされている方々をゲストに開催されるトーク&ミートアップイベント「カラマラナイト」に呼んでいただく。「カラマラナイト#8 織物のまち“与謝野”で新たな物語を綴る」と題して、私の取り組む「オリジナルテキスタイル制作」「織物体験プログラム」「ひらく織」のお話をさせてもらった。
与謝野に移住する前から目指していた産地での制作活動。友人の丹後アテンドから発展した体験プログラム。どちらも2年かけて少しずつ形ができあがってきたもの。そして、同世代の機屋とともに国内産地をめぐる「ひらく織」の活動。一体いつどうやって、こんな魅力的なプロジェクトのメンバーになったのかしらと自分でも不思議に思う。
2015年11月。与謝野町で「TEST MARKET」という3日間のイベントが開かれた。地域の食や産業の魅力を、住民自らが再確認するための企画。当時、他の事業の地域おこし協力隊として着任していたが、常日頃から「テキスタイルを生業としたい」と話して回っていた事が奏し、担当者から関わってみないかと声がかかり、「機屋の仕事を見せる展示空間」を作るプロジェクトのメンバーに。芸大の彫刻科で学び、現代美術のスタジオで働いていた私には得意分野ストライクのお誘い。
当初のプランが物理的・時間的な制約で実現が厳しいという状況の中、地域の機屋さんに協力をお願いしてまわる。この時ご協力いただいたのは「宮眞株式会社」「柴田織物」「創作工房糸あそび」。今では個人のプロジェクトでもお世話になっている頼れる機屋さんたち。初めて機場を訪れたときは緊張で固まっていた。そして、その生地を手にして「こんなに魅力的な生地を見せる空間。(当時仮に進められていた)あのプランで、この魅力を伝えられるだろうか」と新しいプランを提案。着物や洋服に仕立てられる前の織物は、もうそれだけで最高に美しい存在だと伝えるインスタレーション展示。
脚立を立ててテグスを張って。久しぶりの現場仕事は寒くて堪えたけれど、自身の経歴とこの地で出会った織物がひとつの空間を作り上げていく喜びがあふれた。展示を見に来てくれた機屋さんたち、織り子をしていたご近所の女性たちが口々に「こうしてみると生地ってきれいだね」「こんなものを織る仕事をしていたんだよ」と会話がひろがる光景が嬉しかった。機屋さんと繋がった、最初の出来事。
翌2016年の春から、与謝野町織物技能訓練センターでの講習を受け始める。織機の操作や組織の作り方を学びながら、地域おこし協力隊として元々の業務も並走。その冬には「OPEN TEXTILE PROJECT」という、町内の若手職人とデザイナー・リサーチャーといった異業種のクリエイターたちが、「織り」の可能性をみんなで作り考えるプロジェクトが実施された。
昨年のTEST MARKETで少なからず働きを見せ、今年度は公式に織物の講習も始めていた私に、しかし参加への声はかからなかった。すでに町内のリサーチを終えたプロジェクトチームに、関われないもどかしさ。今度は自分から声をかける。「私、このプロジェクトに関われませんか?」私の経歴や織物にかける想いを伝え、担当者と話し合う。「それなら原田さんにもメンバーになってもらおう」と決断してくれたその人は、いま内部から私の背中を押してくれる存在になっている。
プロジェクト中盤からメンバーに入り、「完成されたプロダクトなどの成果品を求めない」というコンセプトのもと、織物そのものの概念を探るユニークな実験に取り組んだ。綛の糸を川の流れに沈めて、糸が絡む状態から「織る」について考察したり、ベレンスの色が現代美術作家マシュー・バーニーの映像作品「クレマスター」の世界観のようで美しいと気が付いたり。
お蚕さんがその命と引き換えに絹糸を生み出してくれることを、まるでパンを膨らましてくれるのに窯の中で焼き殺されてしまうパン酵母の働きと一緒だと熱弁してみたり。こうして、あれこれと「面白い!」と言ってまわっていたことが、2017年度「ひらく織」参加へとつながっていく。
「ひらく織」プロジェクトの立ち上げメンバーとして呼ばれた時、やっと外野からスタメンに認められたのだと嬉しかった。コンセプト作りから意見を出し合って進める。まだ自分にどんな働きができるのかは分からなかったけれど、毎回のミーティングは濃く、深く、そして楽しかった。導き出した答えは、「外部デザイナーに頼るのではなく、一過性のイベントに終わることなく、自分たちが太く強く、生き残る機屋になるために出来ることをしよう」。こうして、丹後産地が抱える課題を全国の機屋と交流することで解決し、若手職人のテンションを上げていく「ひらく織」の原型が出来上がる。いまライターとして、作り手の一人として、産地に立っていることに驚きと感謝しかない。後になってメンバーから聞いた言葉に、自分の「好き」が紡いできた道を見つけた。
「僕は家業が機屋だから、この道に入った。面白いとか、そうじゃないとかはあまり関係なく、仕事として。でも、ダーさん(私の愛称)が“織物が面白い”というのを聞いて、ひょっとして“布”ってもっと可能性があるんじゃないかと思った」。
[/vc_column_text][/vc_column][vc_column width=”1/6″][vc_empty_space][/vc_column][/vc_row][vc_row css_animation=”” row_type=”row” use_row_as_full_screen_section=”no” type=”full_width” angled_section=”no” text_align=”left” background_image_as_pattern=”without_pattern”][vc_column][vc_empty_space height=”50px”][vc_btn title=”<” style=”flat” shape=”square” align=”center” custom_onclick=”true” custom_onclick_code=”history.back()”][/vc_column][/vc_row]