“好き”が紡ぐ道
11月16日。染織やテキスタイル、ものづくりの分野で新しい活動や事業展開をされている方々をゲストに開催されるトーク&ミートアップイベント「カラマラナイト」に呼んでいただく。「カラマラナイト#8 織物のまち“与謝野”で新たな物語を綴る」と題して、私の取り組む「オリジナルテキスタイル制作」「織物体験プログラム」「ひらく織」のお話をさせてもらった。
星空の着物
初夏に投稿した「HOLA! KIMONO PROJECT」。その後を綴るルポルタージュ。
薄い藤色に染められた着物は、秋雨の夜に開かれた茶会でお披露目となった。
ハタオリマチノキオク
バスツアー翌日の10月7日と8日は、富士吉田市が主催する「ハタオリマチフェスティバル」へ。昭和の面影を残す建物、街灯、アーチ看板と富士山がトレードマークの町で「これからの産地はどうあるべきなのか」という問いへの手がかりを探して歩き回った。
産地の学校×ヤマナシハタオリ産地バスツアー
「産地観光について考えてみよう」。夏に実施した「YOSANO TEXTILE EXPERIENCE」をきっかけに、与謝野の可能性について考えるようになっていた。
ひらく織 最初の訪問者
この夏、ひらく織チームに一通のメールが届いた。関祥汰くん、21歳。文化服装学院に通う青年からのコンタクト。つづる織・西脇訪問の記事をきっかけに丹後産地に興味をもち、実際に丹後を訪れたいという連絡だった。ひらく織チームが始動して4ヶ月、最初の訪問者が盛夏の与謝野にやってきた。
YOSANO TEXTILE EXPERIENCE
与謝野に移住して2年、機織りの世界に片足をそっと入れて1年。
テキスタイル制作に機屋さんとのつながり、それは数年前に思い描いていた産地でのライフスタイルそのもの。大江山連峰や阿蘇海という自然に囲まれた暮らし。美味しいお米に野菜、地魚、ジビエ。与謝野に移住して本当によかったと毎日思う。「こんなにも面白くて可能性にあふれる場所があったなんて。知られず、知らされずにいた宝物。独り占めなんてもったいない。水先案内人になって、まずは私の手の届く人たちに知らせよう」。雪解けの頃から思い描いたプログラムを「YOSANO TEXTILE EXPERIENCE」と題して、この夏に実施した。
新しい「織物」へ テキスタイル・サマースクール
国内外のデザイナーやエンジニア、研究者と織物事業者が出会い、学術的な発見や新商品開発のシナリオを生み出すことを目的に企画されたプログラム「テキスタイル・サマースクール」。京都工芸繊維大学 KYOTO Design Labが主催、英国王立芸術学院、デザインアカデミー・アイントホーフェンが運営に協力し、様々な国から集まった参加者と丹後の織物職人が、言葉や経歴を超えて織物の可能性を探る1日に潜入!
世界が注目する児島発デニム JAPAN BLUE JEANS
1992年に創業して四半世紀。今年完成した新社屋は25年の間に築かれた理念と技術、生地と何千ものサンプルが集約された「頭脳部」。この本社と少し離れた場所に立つ工場は、織機がうなりをあげる「心臓部」。二大拠点をベースに児島の町に駆け巡るものづくりのエネルギーは「血」。その躯体を支えるのは、産地という「骨」。児島に立ち上がった「株式会社ジャパンブルー」を訪れた。
哲学する機屋 石井織物工場
倉敷の美観地区から車を走らせて、山間の道をしばらく進む。初夏の緑が美しい風景の中にがんど屋根を見つけた。石井織物工場。出迎えてくれた三代目、石井八重藏さんの会話には、織物に対する信念と政治や宗教の思想が混在し、つながっている。
丹後ちりめん織元 株式会社ワタマサ
与謝野町の岩屋区、近代的な鉄骨の建物が建っている。ほとんどの機屋が昔ながらの日本家屋なので、ちょっと驚く。「ひらく織」メンバーの渡邉正輝が専務を務める「株式会社ワタマサ」を訪問した。入ってすぐの事務所はカーペット敷き、そこかしこに反物が積まれ、部屋の真ん中では男性が昔ながらの木製の台を使って検反をしている。後から番頭さんだと教えてもらった。番頭さんって、あの、江戸時代の版画の呉服屋さんに描かれている、、、現代で番頭さんに出会うなんて。いや、単にカタカナの職業名に取って代わられただけなんだろうな。