ハタオリマチノキオク
バスツアー翌日の10月7日と8日は、富士吉田市が主催する「ハタオリマチフェスティバル」へ。昭和の面影を残す建物、街灯、アーチ看板と富士山がトレードマークの町で「これからの産地はどうあるべきなのか」という問いへの手がかりを探して歩き回った。
産地の学校×ヤマナシハタオリ産地バスツアー
「産地観光について考えてみよう」。夏に実施した「YOSANO TEXTILE EXPERIENCE」をきっかけに、与謝野の可能性について考えるようになっていた。
ひらく織 最初の訪問者
この夏、ひらく織チームに一通のメールが届いた。関祥汰くん、21歳。文化服装学院に通う青年からのコンタクト。つづる織・西脇訪問の記事をきっかけに丹後産地に興味をもち、実際に丹後を訪れたいという連絡だった。ひらく織チームが始動して4ヶ月、最初の訪問者が盛夏の与謝野にやってきた。
世界が注目する児島発デニム JAPAN BLUE JEANS
1992年に創業して四半世紀。今年完成した新社屋は25年の間に築かれた理念と技術、生地と何千ものサンプルが集約された「頭脳部」。この本社と少し離れた場所に立つ工場は、織機がうなりをあげる「心臓部」。二大拠点をベースに児島の町に駆け巡るものづくりのエネルギーは「血」。その躯体を支えるのは、産地という「骨」。児島に立ち上がった「株式会社ジャパンブルー」を訪れた。
足元から日本の文化を支える 髙田織物株式会社
今年で創業125周年を迎える。児島の歴史、日本の歴史、そして自社の革新の歴史。事業の「成り立ち」を簡潔にまとめた年表に、専務取締役 髙田尚志さんの語る明快な将来像。過去と現在と未来が三位一体となった機屋、そんな印象を強く受けた。
丹後ちりめん織元 株式会社ワタマサ
与謝野町の岩屋区、近代的な鉄骨の建物が建っている。ほとんどの機屋が昔ながらの日本家屋なので、ちょっと驚く。「ひらく織」メンバーの渡邉正輝が専務を務める「株式会社ワタマサ」を訪問した。入ってすぐの事務所はカーペット敷き、そこかしこに反物が積まれ、部屋の真ん中では男性が昔ながらの木製の台を使って検反をしている。後から番頭さんだと教えてもらった。番頭さんって、あの、江戸時代の版画の呉服屋さんに描かれている、、、現代で番頭さんに出会うなんて。いや、単にカタカナの職業名に取って代わられただけなんだろうな。
ラボ始動 東播染工株式会社
道路をまたいでいくつもの建物が並ぶ、西脇市東播地区と呼びたくなる一角。
工場に一歩入ると、整然と稼働する機械の発する音と熱、加工の湿気や匂い、遠近法で描いたような光景の連続に、思わず「ANDREAS GURSKYみたい」と声がでてしまう。アジアのどこかの工場のような圧巻の規模だった。